医療事故発生時の対応と謝罪の法的意味
第1 はじめに
どんなに細心の注意を払っていたとしても、医師も人間である以上、ミスをしてしまうことがあり得ます。その結果、医療事故が発生した場合、医療機関としては何らかの対応をとる必要が出てくるでしょう。
人の生命・身体に関わる事柄である以上、この対応を一歩でも間違えれば、大きな紛争に巻き込まれてしまう可能性もあります。
そこで本記事では、医療事故が発生した場合に医療機関がとるべき対応、特に初動について解説していきます。
第2 医療事故が発生したら
1 初動の重要性
医療事故が発生した場合に、患者やその家族皆が皆、医療機関や医師に対して法的責任を追及するというわけではありません。
ただ、医療事故が疑われるにも関わらず、医療機関としての対応が遅れた場合には、患者等の気持ちを逆撫でし、激しい対立・紛争を招いてしまうおそれがあります。
そのような対立・紛争を防ぐためには、医療事故が発生した場合の初動が重要なのです。
2 患者に対する説明義務
医療事故が発生した場合に、医療機関としてまずやるべきなのが、事実関係の調査と調査結果の説明です。
医療機関は、診療契約に基づき、患者に対して説明義務を負っています(民法656条、645条)。そのため、医療事故が発生した場合に、患者からその原因等について説明を求められれば、これに回答しなければなりません。
ただし、患者に対して説明するためには、前提として、事実関係の調査が当然必要です。担当した医師や看護師から経緯について事情を聞いたり、当該患者の診療録(カルテ)を確認したりするなどして、正確な情報を収集する必要があるでしょう。
その上で、医療機関にとっては、可能な限り早急に患者に対して調査結果を説明するのが望ましいということは言うまでもありません。
しかし、ただスピードだけを重視して説明の場を設けることは、リスクも存在します。例えば、準備不足のために、その場で患者等からなされた質問に回答できずに逆に不信感を強めてしまったり、無意識に医療機関の過失を認めるような発言をして、後の裁判で不利な証拠として扱われてしまったりするケースが考えられます。
このようなリスクを回避するためには、事実関係の調査にかかる時間に加えて、説明のための準備期間も計算した上で、予めスケジュール調整しておくことが有用でしょう。また、説明の場に弁護士を同席させることで、不用意な発言を回避することもできます。
3 患者等への謝罪
⑴ 謝罪の持つ法的意味
事実関係を調査した結果、医療機関側の過失が明らかとなった場合には、説明の場において、誠意ある謝罪をする必要があるでしょう。
一方で、調査しても医療機関側に過失があったのかすぐには分からない場合にも、医療機関としては謝罪すべきなのでしょうか。一般的に、謝罪とは自分の非を認める行為として認識されており、患者等に謝罪してしまうと、医療機関として過失を認めてしまうことに繋がるのではないかと不安に思う方もいらっしゃると思います。
以下では、医療事故に関する2つの裁判例を紹介し、裁判所が医療機関の「謝罪」を法的にどのように評価しているのか見ていきたいと思います。
⑵ 東京地裁平成20年2月20日判決(医療判例解説20号129頁(2009年6月号))
ア 事案の概要
本件は、ぶどう膜炎及び続発緑内障等の治療のために入通院したが、その後視神経の損傷・萎縮により失明した原告が、失明の原因は、担当医がリンデロンAの点眼を中止したことや、適切な時期に緑内障手術を行わなかった過失によるものであるとして、不法行為や債務不履行に基づく損害賠償請求をした事案です。
裁判中、原告は、担当医が原告に対して、リンデロンAの点眼中止について謝罪をしたことを、過失があることの根拠として主張しました。
イ 裁判所の判断
これに対し裁判所は、「被告E医師はその本人尋問において謝罪したのは不本意であったと述べていることのほか、謝罪の趣旨は明確でなく、診療行為に過失がないとしても、これによって想定外の結果が生じたことについて謝罪する趣旨であったということも当時の状況に照らし、あながち不合理ともいえないから、被告E医師がリンデロンAの点眼中止の判断につき謝罪をしたことをもって、被告E医師の治療行為に法律上の過失があったことを基礎付けるものとまではいえない。」と述べ、原告の主張を排斥しました。
⑶ 東京地裁平成19年5月31日判決(裁判所ウェブサイト)
ア 事案の概要
本件は、被告会社の生命保険加入のために採血を受けた原告が、採血後に皮下出血を生じたのは被告医師の採血方法及び止血処理を誤った過失によるとして、会社及び医師の両名に損害賠償請求をした事案です。
裁判中、原告は、被告会社が採血の翌日に病院を訪問し、原告の皮下血腫を確認して、動脈損傷を認め謝罪したという事実があると主張しました。
イ 裁判所の判断
これに対し裁判所は、被告会社Eに対する証人尋問の結果から、Eが原告の左腕を見て、原告に対し謝罪したことは認めたものの、「Eは、原告の皮下の出血斑を認めたので、それについて詫びたに過ぎないと述べており、被告A(担当医)らが、動脈損傷を認めたうえで、その点について謝罪したとの原告の主張は、認めることができない。したがって、上記謝罪の事実から、動脈損傷の事実や、被告Aが、必要以上に静脈を損傷した事実を推認することはできない。」と述べ、これまた原告の主張を排斥しました。
4 まとめ
上記裁判例からすると、裁判所は謝罪の事実があったからといって、直ちに医療機関の過失があったと評価しているわけではないことがわかります。むしろ、尋問結果にも依拠しながら、謝罪文言、謝罪時の状況、前後の経緯等を踏まえ、謝罪の趣旨を丁寧に認定している傾向がみられます。
謝罪をしなかった場合のデメリット(慰謝料の増額要素になりうること、患者等との間に感情的な対立を招き、紛争が長期化するおそれもあること)も併せ考えると、医療機関としては、謝罪することに抑制的になる必要はないといえるでしょう。
第3 終わりに
今回は、医療事故が発生した場合の初動の重要性について解説いたしました。
冒頭でも述べた通り、この対応を一歩でも間違えると、和解できるような案件でも話がまとまらず、早期解決が難しくなります。
ただ、医療機関として対応できる範囲にも限界があるでしょう。そこで、本記事に関してお悩みの方は、この分野に詳しい弁護士にご相談されることを強くおすすめします。
弁護士法人法律事務所瀬合パートナーズ
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